宗教家としてのトルストイ

私の考え方の基本はトルストイの人生論から来ています。
私がまだ若い頃、人生問題に悩んでいたときに出会ったのがトルストイの人生論でした。
トルストイが取り上げていた問題は、当時私が突き当たっていた問題そのもだったのです。

トルストイについては文豪としてあまりにも有名ですので、知らない人はいないと思いますが、晩年に到達した宗教的境地については知らない人も多いのではないでしょうか。
私が宗教家としてのトルストイを知るきっかけとなったのは、ロマンロランの「トルストイの生涯」という伝記からでした。
当のロマンロランの著作はほとんど読まずじまいでしたが、この伝記のおかげで、トルストイが私と同じ悩みを抱えていた事を知りました。

トルストイの当時の状況を最も端的に伝えているのは「懺悔」だと思います。
トルストイは五十歳すぎてから、人生の根本問題に直面し、それまでの考え方を一転して信仰の道に入ることになります。
五十歳すぎてからというのはちょっと遅いような気がしますが、おそらくそれまでに下地はできていたのでしょう。
それを機に、それまで好評を博してきた自分の文芸作品すら捨て去ってしまうのです。
それほどまでに人生観を変えてしまった問題とは何であったのでしょうか。
そのいきさつについては「懺悔」において文学的な表現で語られています。

ところで、「懺悔」に書かれていることを本当に理解している人はどれほどいるでしょうか。
かなり前の話ですが、私はロシア文学を原書で読んでいるという三十代の女性と話をする機会ありました。
私がトルストイの「懺悔」を読んだことがあるか尋ねたところ、あるということでした。
私は若い女性が「懺悔」をよんでいることに感心して、すかさず感想を尋ねました。
彼女の解答に私は愕然としました。
彼女の答えは「精神病患者が書いているみたい」だったのです。

あの大トルストイがそれまでの名声をなげうってまで、突き詰めて考えぬき、ようやくたどり着いた、人生の根本問題の解決への道を、こともなげになんと精神病患者とは。
と、そのときはショックでしたが、しかし考えてみれば、それが一般のひとがうける印象であろうことは容易に察しがつきます。
もし、人生の矛盾についての問題意識がなければ、ただの狂人のたわごととうつるでしょう。

さて、トルストイがこのときの状況を哲学的表現で分析しているのが「人生論」です。
「人生論」は難解であるという評判ですが、確かに分かりにくい論文です。
トルストイ自身がまだ自分の考えを整理している途中の作品であるからかもしれません。
また人生問題そのものが、明快な答えがあるわけではなく、最終的な解答はその人自身の考え方にゆだねられるという事情もあるでしょう。

話は違いますが、哲学書などを読んでいると、意味が全く分からない書に出会うことがあります。
意味が容易に理解できないほどに深い内容であるとして、有難がる人もいますが、この場合、作者自身がよく分からないまま書いていることがあります。
書いている人間が分からないのですから、読んで分からないのは当然です。
作者の中には、むしろ意味が分かって、薄っぺらな内容だと思われるよりも、分からないほうがましだと思っている人もいるでしょう。
というわけで、言葉だけが難解で意味不明な哲学書が結構有名になったりします。

もちろん、トルストイの「人生論」はそういうものではありません。
この時期にトルストイが最も関心をよせていたのは自分の良心であり、世間の評判ではないからです。

トルストイが到達した人生観とは、結局キリスト教への回心ということでしょう。
ただ、キリスト教といっても、いろいろな考え方が入り乱れており、決して統一された教えではなく、トルストイが到達した境地も単にキリスト教と言うよりも、トルストイ的キリスト教ではないかと思います。

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Author:magokorokara
私は学者でも、宗教家でもなく普通の社会人ですが、人生問題に悩んでいた若い頃読んだ本を長い年月というフィルターを通してみて、あらためて考えたことを整理しながら書いています。

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