仏教の空とは(3)

私は人生の根本的な矛盾に気が付いてから、すでに五十年近く経過していますが、いまだにまともな結論を得ていません。
しかし考えてみれば、人類始まって以来、すでに多くの人によってこの問題が論じられているのにも関わらず、いまだに決着がついていところをみれば、私が解決の道を見出せないとしても、不思議ではありません。
とは言っても、全く分からないという訳ではなく、分からないということだけは分かっているのです。
私だけが分からないのではなく、どんなに考えても人類は永遠に結論を得ることは出来ないであろうことだけは推察できるのです。
なぜなら、人間の思考形式自体が真実を把握できるようには出来ていないからです。
人間の思考は相対的な概念によって成り立っています。
どんなに推理推論を重ねたところで、出てくる答えは相対的な概念です。
決して絶対的な真実に到達することは出来ません。
従って、答えを求めていくら探し回ったところで、迷路の中を永遠にさ迷い歩くだけということになります。
仏教の空とは、実はこのことを言おうとしているのではないでしょうか。

ところで、普通我々が空という言葉で思い浮かべるのは、空(そら)だと思いますが、仏教の空は、もちろん空(そら)ではありません。
では、宇宙の本体、実体、あるいは真理を指しているのかといえば、どうもそれも違うようです。
では何かと言えば、仏教の空とは、ただ単に、ものごとと否定した言葉にすぎない、というのが本当のようです。
空自体にはなんら特別な意味があるわけではないということです。
なぜならば、龍樹自ら、空という概念に捉われてはならず、最終的に捨て去るべきものであるとしているからです。

さて、現代人が龍樹の著作とされている「中論」を読んでも、意味がほとんど分からないと思います。
むろん、私も分かりません。
解説書によると「中論」は論争の書であるといいます。
誰と論争しているのかというと、小乗仏教の中の「説一切有部」という一派です。
「説一切有部」は何を主張しているのかと言えば、読んで字のごとく、一切が有ると説いているのだそうです。
現代の常識では、全ての現象は実在していると考えるのは普通のことです。
ただ、「説一切有部」は現象している個々の存在が実在していると考えているわけではなく、それの「ありかた」、「それ自身の本質」すなわち、法が有ると主張しているのです。
個々の存在は、たえず変化し消滅しているわけですから、真に実在するとは言い難いが、それを成立せしめている「ありかた」、あるいは「形」、すなわち法は実在しているというわけです。
ですから、その法はそれぞれ独立して存在し、不変であるといいます。

人間は何か不動なもの、絶対的なものを求めるのは自然であり、全てが実体のない、まぼろしのようなものなら、とうてい安心などはあり得ないのです。
そういう意味では「説一切有部」の主張も分からないわけではありませんが、しかし龍樹はこれをも否定します。
正確にいえば、個別の法(概念)に対応する恒常の実体(本体)、すなわち自性は無いといいます。

ところで、この「中論」の運動否定の論理は、古代ギリシャのゼノンのパラドックスに似ているといいます。
私もあまり詳しくはないので、インターネットで調べてみると、確かに似ています。
ゼノンはブッタゴータマとほぼ同時代の人ですが、異なった地域、文明であるのにも関わらず、同じような議論が展開されていることに驚きます。
厳密にいえば、もちろん違うでしょうが、大枠でみれば大差はないようにみえます。
ゼノンのパラドックス自体は子供の謎々程度の問題ですが、その言わんとしていることは「中論」の問題意識と共通のものがあります。

「感覚は全て疑わしいものである」「一があるのであって多があるのではない、多があるとすれば運動は不可能である」というパルメニデスの学説を擁護するために考え出されたと言います。(ウィキペディアのゼノンのパラドックスより)

その中でもっとも有名な 「アキレスと亀」という話で、アキレスは亀に追いつけないことになっていますが、もちろん現実には簡単に追い越すでしょう。
では、逆にどういう場合に追いつけないかと考えてみると、アキレスと亀が近づくたびに、共に、無限にどんどん小さくなっていくことが必要です。
でなければ、差が縮まるにつれて、ひとまたぎで追い越してしまうからです。

もちろん、こういうことを言おうとしている訳ではありません。
個々の存在や現象がそれぞれ別の実体であるならば、その間には無限の距離があり、移動は不可能であると言うのが趣旨でしょう。
現象世界は分割出来るものではなく、固定的に把握するのは誤りです。
龍樹の「中論」もパルメニデス、ゼノンのパラドックスも真実の世界は一つであり、別々の本体があるわけではないとしています。
これは、人間の固定概念による錯覚を否定したとみてよいのではないでしょうか。

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Author:magokorokara
私は学者でも、宗教家でもなく普通の社会人ですが、人生問題に悩んでいた若い頃読んだ本を長い年月というフィルターを通してみて、あらためて考えたことを整理しながら書いています。

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