この世は悪であるという教説について

以前、アルビジョア十字軍についてのドキュメント番組をテレビで見たことがあります。
何気なく見ていたのですが、次第に引き込まれて、その事実に衝撃を受けたのを憶えています。
アルビジョア十字軍とは、1209年に南フランスで盛んだった異端とされるカタリ派を征伐するために、ローマ教皇インノケンティウス3世が呼びかけた十字軍だそうです。
ただし、実際に戦闘に参加したのは北フランスの諸侯ということで、南フランス諸侯との領地争いが背景にあるようです。
カタリ派の起源は、当時のカトリック教会に反対する民衆運動であったということです。
カトリック教会の聖職者の汚職や堕落を見慣れてしまった民衆は、完全な禁欲生活を送るカタリ派の完徳者の姿に強い感銘を受け、心ひかれたといいます。
要するに、この戦争は政治問題もからんだ、カトリック教会に批判的な勢力に対する一掃作戦であるという観がします。
戦闘は一進一退を繰り返した後、1244年にカタリ派の最後の砦であったモンセギュールが陥落し、立て篭っていた多くのカタリ派信者が改宗を拒んで火刑に処せられたということです。
以後、カタリ派は徐々に消滅していくことになります。

さて、私が引きつけられたのは、実はカタリ派の思想です。
カタリ派は「この世は悪である」と考えていました。
悪であるこの世、即ち物質世界から逃れることによって、天国へ到達できるという考え方です。
そのためには、汚れた世俗との関係を断ち切り、禁欲生活を送ることであるとし、完全な禁欲生活を送る信徒を完徳者とよんでいました。
また、結婚を否定し、生殖を目的とする性行為を認めなかったといいます。
この世が悪であり、人間が罪人であるならば、これ以上人間を生み出さないとするのは当然でしょう。

以上ウィキペディアの「カタリ派」及び「アルビジョア十字軍」を参考にして書いてみましたが、そのいきさつについて、私自身はそれほど詳しく知っている訳ではありません。
キリスト教の歴史や宗派の違いについても、正確な知識を持っているとはいえません。
いずれ研究してみたいと思ってはいますが、今までそれほど関心が無かったというのが正直なところです。

いづれにしてもキリスト教の歴史にはこういった負の側面があるのは事実でしょう。
カタリ派のいったいどこが異端なのかは分かりませんが、火あぶりの刑に処するほどの重罪を犯したとはとても思いません。
少なくとも、彼らは自分の命よりも信仰を取ったのは事実です。
刑を執行した側にそれだけの信仰心があったのでしょうか。

ところで、カタリ派の思想についていえば、仏教の教えに近いような気がします。
仏教では「この世は悪である」とはいっていませんが、「人の一生は苦である」として、ほぼ同じ前提に立っています。
さらに、仏教ではその苦しみから抜け出すことが解脱であり、修行により解脱を目指すことを目的としています。
また、結婚についてはやはり否定的なようです。
再び母胎に宿らないことを最上としているからです(スッタニパータ等の経典)
考えてみれば当然の話で、この世が苦であるのに、結婚を勧めるというのはつじつまが合いません。
結婚を勧める以上、この世が善であり、人生はすばらしいものでなければなりません。
でなければ、苦しむ人や不幸な人を造り出すことになります。

さて、それはともかく、カタリ派の考え方は仏教の教えよりもさらに徹底しているといえます。
なぜなら、この世は悪魔が創ったとしているからです。
悪魔が創ったというと、ちょっと奇異な感じがしますが、話の筋道からいえば、それほど極端な考えではなく、むしろ自然な考えといえるでしょう。
この世が悪とするならば、神がこの世を創ったとはいえません。
神が人間に苦しみや不幸をもたらすとは思えないからです。
それとも、神は人間を地獄に突き落としておきながら、これを救いとるとでもいうのでしょうか。

仏教では、もともと世界の創造者という考え方はありません。
仏教は苦からの脱却ということに焦点を当てていますので、世界の初めとか終りとかという議論はないようです。
ただ厳密にいえばないわけではなく、むしろ無記(釈迦がある問いに対して、回答や言及を避けたことを言う)という態度で臨んでいると言った方が正確でしょう。これは箭喩経(センユキョウ)で説かれていることですが、無用な議論は避けるべきであるとしています。

さて、いづれにしても、これらの考え方は人生問題に関する一つの解答であり、また物語であるともいえるかもしれません。
世界を創造したのが神であるにせよ、悪魔であるにせよ、現実世界を説明するために人間が創りだした物語です。
とはいえ、根も葉もない全くの作り話というわけではなく、本来言葉で言い表せない真実の世界を我々の言葉で表現していると見るべきでしょう。

この世を悪とみることによって、この世からの脱却という目的意識が生じ、禁欲という強い意志をもつことができるならば、あながち間違った考え方とは言えないでしょう。
事実、カタリ派の完徳者たちは、完全な禁欲生活を送っていたということです。
そして、自分の命よりも信仰を取ったということは、それが彼らにとって真理であることを証明しています。

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Author:magokorokara
私は学者でも、宗教家でもなく普通の社会人ですが、人生問題に悩んでいた若い頃読んだ本を長い年月というフィルターを通してみて、あらためて考えたことを整理しながら書いています。

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