ショウペンハウエル「自殺について」(1)

このブログを書き始めてから、過去に読んだ書を改めて読み返していますが、人生問題に関する本を読んでいたのはかなり前ですので、そのほとんどは手元にありません。
というわけで、暇があれば古本屋をのぞいているのですが、ときたま昔私が読んでいた頃の本に出会うことがあります。
ショウペンハウエルの「自殺について」もその一つです。
私がこの書(岩波文庫)を初めて読んだのは二十歳前でしたが、新鮮な驚きを感じたのを憶えています。
久しぶりに開いてみると確かになつかしい文字が並んでいます。
と言うより、一瞬私が書いた文章ではないかと錯覚したくらいです。
ショウペンハウエルの考えが、いつしか私の考え方の一部になっていたのでしょう。
強烈なインパクトがあったのは確かですが、これほどまでとは思っていませんでした。

さて、この書「自殺について」は著者晩年の作で、主著に対する「付録と補遺」として書かれた小論集の一部です。
その中の五編が収められていますが、直接自殺に論究している部分はそれほど多くはありません。
まず最初の一編を見ると、論題が「我々の真実の本質は死によって破壊せられえないものであるという教説によせて」とあります。
これはまさしく私がこのブログで何度も取り上げている考え方で、自分の書いた文章と錯覚したというのはこの部分です。
しかし内容については、当時全て理解したと言う訳ではなく部分的な共感にとどまっていたと思います。
ショウペンハウエルの文章は明快であるとは言え、哲学的専門用語が出てくるうえに、訳文特有の不明瞭さがあるため、ある程度文脈から類推せざるをえないからです。
今改めて読んでみると、一部を除いてほぼ意味が了解できます。

では、ここでは一体なにを言わんとしているのかというと、「人間は死すべき存在であるが、それを生かしている本質は不滅である」ということです。
これは「霊魂不滅」として比較的ポピュラーな考え方であり、ショウペンハウエルならずとも、一般のひとにでさえ受け入れられている概念です。
ただショウペンハウエルはこれに論理的な説明を加えていて、単なる霊魂不滅論とは一線を画しています。
しかしショウペンハウエルといえどもこの問題に明快な決着をつけているとは言い難たく、著者自ら、この本の最後に「これ以上話したところで、仮定、あるいは神話的になりかねない」として、結論は読者に委ねています。
結局、このような問題は最終的には論理を超えたところに帰着せざるを得ないということでしょう。

さてショウペンハウエルは「霊魂不滅」とか「輪廻」と言う考え方は初心者向けであるとし、真実の教えとして「再生」を説いています。
「再生」とは個体の解体と再建の謂いであり、その場合ただその意志だけが持続するということだそうです。
人間は死んでも、また新たなる生命として生まれ変わるが、持続するのはその本質である意志のみということでしょう。
カントは世界の本質を「物自体」としていますが、ショウペンハウエルはこれを「生きんとする意志」としています。
この意志は最終の目標を有してはおらず、ただひたすら努力する盲目の意志であり、その欲求は決して満たされることはなく、永遠に無意味に反復されるといいます。
人間の本質は不滅であるとして喜んだのも束の間、なんとその本質は盲目の意志であるというショッキングな展開となっています。

続く第二編と三編で、世界の本質が盲目の意志であるが故の虚無性についてと、それによって引き起される人間の苦悩についてがつづられています。
「この世界は人間の考え得る最悪の世界である、なぜならば、それ以上悪ければ存在し得ないからである」という彼の厭世哲学においては「地獄とは正に現実そのものであり、天国とは想像にすぎない」のであり「人間の歴史は絶えざる闘争の歴史であり、平和とは時たま訪れる小休止である」さらに「困窮、欠乏、そして苦痛こそ我々の本質であり、その欲求が一時的に充たされても、すぐまた別の欲求にとって替わられるか、あるいは退屈に襲われる。」したがって「我々の生存とは欠乏と苦痛のみであり、満足とか快楽とかは一時的にそれが消えた状態にすぎない」ですから「このような人生において幸福などと言うことはあり得ず、もしあるという人がいたならば、たぶん酔っぱらっていたのでしょう」ということです。

さて続いて第四編では「自殺について」論じられています。
この本の題名が「自殺について」とする割には、この部分は少ないようです。
それはともかく、ショウペンハウエルは自殺は悪ではないとしながら、より高次な立場から自殺を否定しています。
それは「自殺はこの悲哀の世界からの真実の救済の代わりに、単なる仮象的な救済を差し出すことによって、最高の倫理的目標への到達に反抗することになる」といいます。
これを私なりに解釈すれば、自殺は短絡的な解決であり、真の救済への道を閉ざすことになるということです。
また、「キリスト教はその最内奥に苦悩(十字架)が人生の本来の目的である、という真理を含んでいる。それ故にそれは自殺をこの目的に反抗するものとして排斥するのである。」としています。
これも私なりに解釈すれば、あくまで信仰に救いを求めるべきであり、自らの命を断つことによって、この世の苦しみから逃れようとすべきではないということでしょう。
ただ、このような高次な立場からのみ自殺を否定できるのであり、この立場より下れば何ら自殺を否定すべき理由はないとしています。
自殺についてショウペンハウエルは概ね肯定的であり、自殺は悪であるとか犯罪であるという考えには強く反対しています。
その根拠としてあるのは、この世は最悪の世界であるという彼の厭世哲学であることはいうまでもありません。
世界の本質が「生きんとする意志」であり、そしてそれが「盲目の意志」であるならば、それは願わざる世界であり、真の幸福とは程遠い世界であるのは当然です。
それを否定し、そこから逃れようとするのに、何ら罪の意識があろうはずはありません。

続いて第五編は「生きんとする意志の肯定と否定に関する教説によせる補遺」となっていますが、つづきは次回にて。

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Author:magokorokara
私は学者でも、宗教家でもなく普通の社会人ですが、人生問題に悩んでいた若い頃読んだ本を長い年月というフィルターを通してみて、あらためて考えたことを整理しながら書いています。

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