パルメニデス存在論の矛盾

パルメニデスの存在論はその後の西洋哲学に大なり小なり影響を及ぼしていくことになります。
パルメニデスの存在論を抜きにしては、哲学を語れないほどその論理は厳密であった訳です。
しかし、前回採り上げたパルメニデスの言葉でも分かるように、パルメニデスの論理には明らかに矛盾があります。
「あらぬ(無)とは、語ることも考えることもできぬ非存在、無意味、虚妄である」と言いながら、あらぬ(無)について語っているのです。
「非有が一般に、またどこにも存在せぬとすれば、それは表象のうちにすら存在することはできないはずである」(西洋哲学史 シュヴェーグラー 岩波文庫より)
しかも、我々は現象世界が絶えず変化流動しているのを目の当たりにしています。
「いつまでもあると思うな親と金、無いと思うな運と災難」ではないですが、有る無しという言葉も日常生活では当たり前に使われています。

また、「万物は流転する」とはパルメニデスと同時代人のヘラクレイトスの言葉です。
ヘラクレイトスは「人は同じ河に二度と入れない」と言いました。
水は絶えず流れているので、二度目に入る時は同じ水ではないからです。
「すべての物は永遠の流れ、不断の運動と変転とのうちにあり、その恒存は仮象にすぎない。何ものも同じものとしてとどまらず、増大し減少し、他のものに変化し移って行く。すべてからすべてが生まれ、生から死、生命のないものから生命のあるものが生まれる。ただ変転、生滅の過程だけが永遠である。」(西洋哲学史 同)
このヘラクレイトスの主張はパルメニデスの説の対極にあると一般的に見られています。
そして、この二人の考え方をいかに融和させるかがが、その後の西洋哲学の課題となっていきます。
たとえば、プラトンのイデア論などは、この二人の考え方にピタゴラスの学説を加味したものだといわれています。

さて、この二人が提出している問題は、ほぼ時を同じくして仏教でも考えられています。
ヘラクレイトスの「万物は流転する」は、そのまま仏教の「諸行無常」ということになりますし、パルメニデスの「存在は単一である」という見方は、仏教の「万法一如」に通じます。
もちろん仏教は単なる哲学ではく、この世の苦からの脱却を目指している教えですので、人間の生き方が主眼となります。
ギリシャ哲学においても、人間の生き方が中心であることに変わりがないでしょうが、仏教のようにこの世を苦と見、そこからの解脱を目指すという発想はあまりないようです。
ただ、ヘラクレイトスの「万物は流転する」という見方は、仏教の「諸行無常」と同様に、人生のはかなさを含意しています。
ヘラクレイトスが「暗い哲学者」、「泣く哲学者」と呼ばれるのも、厭世観の持ち主であることを物語っています。
ヘラクレイトスに限っていえば、仏教的な見方と共通の立場にあると言えるかもしれません。

さて、話をパルメニデスの存在論に戻しますが、冒頭に記したパルメニデスの存在論に矛盾があるという見方は、本当に正しいのでしょうか。
私の考えは違うのです。
矛盾があるというのは、見方の相違によるものではないか、というのが私の考えです。
普通の意味での有る無しは、あくまで存在の中での話であるのに対して、パルメニデスの存在論は存在自体の有る無しを問題にしています。
言い換えれば、世界の中で現象として表れる存在の有無と、世界そのものの存在の有無ということです。
普段我々が、何々が無いという場合、そこには無いというだけで、何処かに在ることを前提にしています。
いわば相対的な無です。
しかしそれが、世界全体の無、あるいは我々の存在自体の無ということになると話が違ってきます。
それは既に、我々の認識を越えた世界の話になります。
ですから、パルメニデスの存在論は存在自体について語るのであれば正当な議論といえます。
矛盾があるとするのは、存在自体の有無と、我々の表象の中での有無を混同することによって生じると思われます。
この辺りはかなり難しく、世界の根本問題になりますので、おそらくパルメニデス自身も明確な意識はなかったのではないかと思われます。
なぜなら、「パルメニデス自身が非有や多や変化が、少なくとも人間の表象のうちには存在していることを認めているからです。」(西洋哲学史 同)

では、プラトンはこの問題についてどう考えているのでしょうか。
前述したように、プラトンはパルメニデスとヘラクレイトスの考えを引き継いでいます。
しかも、パルメニデスの矛盾を指摘しているのは、どうやらプラトンであるらしいのです。
「誤った観念が現実に存在するとすれば、非有もまた現実にかつ真実に存在するはずである」(西洋哲学史 同)とプラトンは述べています。
我々の表象の中に、無という概念がある以上、無は存在するということです。
しかし、一方においてヘラクレイトスの万物流転の考えにも同調しているわけではありません。
万物流転を認めながらも、生成消滅しているものの中には真実はあり得ないとしています。
そこで、プラトンはイデア論なるものを持ち出してくるわけです。

イデア論についてはまた次回にします。

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Author:magokorokara
私は学者でも、宗教家でもなく普通の社会人ですが、人生問題に悩んでいた若い頃読んだ本を長い年月というフィルターを通してみて、あらためて考えたことを整理しながら書いています。

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