科学と宗教

科学と宗教というテーマで思い出すのはパスカルのパンセです。

パスカルといえば学生時代にパスカルの原理を習った記憶のせいか、科学者としてのイメージがありました。

それが、たまたま本屋で手に取ったパスカルのパンセの前書きに科学者からキリスト教に回心とかいう文字があったので、その言葉に引かれて読み初めたのです。

その頃は宗教といえば、過去の遺物か迷信ぐらいに思っていたので、数学や物理の天才パスカルが回心したということに意外さを感じました。

現代は科学全盛の時代でロケットによる月面着陸を初めとして、正に奇跡が科学によって次々に成し遂げられています。

今でこそ科学の発展に疑問視する向きも出て来ましたが、私が若かった四十年程前はまだ、大気汚染、オゾン層破壊、核廃棄物、それに地球資源の枯渇などの問題がそれほど深刻ではなく、人間の幸福は科学の発達によって達せられるものと信じて疑わなかったのです。

現在でも科学技術の発展は続いています。
現代社会は科学技術無くしては成り立ちませんので、科学技術の発展の停止はすなわち現代社会の死を意味します。
たとえどんな結末を迎えようと科学技術を捨て去るわけにはいかない状況なのです。

ちょっと話が逸れましたが、パスカルを読んだ当時、二十歳前の頃でしたが、人生問題に強い関心を持っていましたので、何か解決の糸口になるのではないかと期待した訳です。

さて、パスカルのパンセですが、残念ながら今手元に本が無いので、当時読んだ記憶をたよりに書いていますが。
確か、パスカルの同時代の人の哲学批判が主な内容だったと思います。
インターネットのYahoo百科事典でパスカルを調べてみると次のように書かれています。

~パスカルの死後、多くの遺稿が残されていたが、そのおもな部分は「キリスト教弁証論」のための断片的覚え書きで、本来、不信仰者を信仰に導く目的のために起草されたものであった。~

私が科学と宗教というテーマでパスカルを出したのは、科学者であるパスカルがなぜ信仰の道に入ったのか、その過程が重要だと思ったからです。

さて、科学技術のもたらした弊害について述べましたが、実は私は別の面からも疑問をもっていました。
こころの問題です。
科学は人間に幸福をもたらすのかどうかということです。

ただ、幸福とは結局個人の価値観になりますので、もし、物質的な豊かさを幸福と考えるならば、科学技術は有効な手段なるでしょう。

日本は戦後、無一物の時代から懸命な努力の甲斐あって、現在まがりなりにも豊かさを手に入れました。
で、人々は満ち足りているのでしょうか。

「衣食足りて礼節を知る」ということわざがありますが、私もこの言葉に異議を立てるつもりはなく、確かに生きる上での最低限の物質の確保は必要でしょう。
飢えや寒さで苦しんでいる人には、人生の意義だの世界の根本問題などと理屈をこねている暇はありません。
現実の苦痛を除くことこそ先決問題です。
そういう意味では、人生問題など贅沢な悩みかもしれませんが、だからといって決してあなどれる問題でもないのです。

しかも現代の文明社会は決して盤石な上に築かれているのではなく、いわば暴走列車に乗っているようなもので、止めることも、飛び降りることもできず、ただ突き進むしかありません。
そしてその先に何があるかは神のみぞ知ると言う訳です。

ところで、科学は人間に何をもたらしたのでしょうか。
その端的な例は人口です。
18世紀の産業革命以降に世界人口の増加ペースが早くなってきて、19世紀末ではおよそ16億人だった世界人口は、現在では70億人にまで急増しています。
正に「産めよ増やせよ地に満ちよ」が現実のものとなり、地球上に人間が満ち溢れています。
しかし、喜んでばかりではいられません。
自然界にはバランスというものがあります。
生物はその環境状態によって異常繁殖するときがありますが、決して長くは続かないのです。
自然の摂理によって修復されるならまだしも、自然そのものを破壊して自ら墓穴を掘る可能性がおおいにありそうです。

さて、近頃では科学と宗教の歩み寄りとか共存とかがさかんに言われるようになってきました。
ひと昔前では科学は宗教を無視していたし、そしてさらに前ではキリスト教は科学を敵視していました。
しかし今ではおたがいに相手を無視することが出来なくなっています。
宗教の方では科学を無視するにはあまりにも巨大になっていますし、また、科学の方でも科学によって世界の全ての問題を解決することが出来ないことが分かってきたからです。
人間の幸福とか生きる意義、あるいは価値観といったような人生問題に関しては科学はまったくのお手上げです。
また、科学はあくまで客観的な現象世界のみを対象にしているので、現象が由って立つ所以、すなわち現象の根源の問題については対象外です。
我々が最も関心のある世界の根本問題に関して科学は無力なのです。

一方宗教でも多くの問題をかかえています。
その宗教が広範に及び信者が多くなるにつれ、同じ信者の中でも考え方の違う人達が出て来きます。
ひとつの宗教でも様々な宗派に分かれ、そのおのおのが自らの正統性を主張します。
そうした場合、いったいどれが真正の教えなのか、一般の人がそれを見分けるのは至難のわざといえるでしょう。

それにもうひとつ、今在る宗教に現代の深刻な状況を克服し、正しい道を指し示すだけの説得力があるかということです。
たがいに自説を主張し、他宗を謗ることのみに汲々としているようでは望むべくもありません。

さて、話が飛び飛びでまとまらなくなりましたが、幸福論あるいは宗教や科学の意義などについてはまた別の機会にゆずるとして、私の結論から言えば、科学技術は人間の幸福追求のための手段あるいは道具でしかないということです。
幸福とは何かという問題は宗教あるいは哲学の領域であり、最終的には個人が決定すべきことだと思います。

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Author:magokorokara
私は学者でも、宗教家でもなく普通の社会人ですが、人生問題に悩んでいた若い頃読んだ本を長い年月というフィルターを通してみて、あらためて考えたことを整理しながら書いています。

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