人生不可解

明治の初期 当時学生だった藤村操さんという人が、「人生不可解」の一文を残して、華厳の滝に飛び込んだ、という話は有名です。
どのようないきさつで自殺にまで至ったのかはよく分かりませんが、当時の知識人にとってかなりセンセーショナルな事件であったらしく、その後多くの人によって語られています。

私が藤村操さんのことを知ったのは私がまだ二十歳前後のときですが、人生問題に強い関心があった時期でしたので、やはり衝撃を受けたのを今でもおぼえています。

藤村操さんの遺書「巌頭之感」によると「万有の真相は唯一言にして悉す。曰く、不可解」とあります。

当時の私も同じような問題で悩んでいました。
それが自殺によってしか解決出来ないということに驚いたのです。
凡庸な性質の私はそこまで深刻にならなかったせいか自殺もせずにその後四十年以上も生きています。

では なぜこの事件が重大な意味をもつかといえば、誰でもが持つ正当な疑問で、しかも誰もまともに答える事が出来ないからかもしれません。

藤村操さんの先生でもあった夏目漱石の著作(行人)のなかに、「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか、この三つ しかない。」という言葉がでてきます。
正に、人生問題を突き詰めて考えるならば、これ以外に方法がないでしょう。
それほどこの問題は深刻なのです。

ところで、ほぼ同時代にロシアでは文豪トルストイが同じような問題で悩んでいました。
その顛末についてはその著作「懺悔」で詳しく語られています。
結局トルストイは宗教に活路を見出すわけですが、既成のキリスト教には飽き足らず、自らの信仰を築いていくことになります。

さて、人生の根本問題は、考え始めると深刻ではあるのですが、しかし全ての人がこのような問題で悩んでいるわけではありません。
あまり関心を持たない人がいます。
関心を持たないというよりも、現実の生活に追われて考えている暇などないというのが事実でしょう。

それに、考えても結論が出るわけではありませんので、あまり深く考えないという生き方もそれなりにうなづけます。

仏教ではもとも「諦める」という字は、真理を明らかにするという意味だったのですが、結局分からないので、現在の「諦める」という意味に変わった、ということです。

それはともかくとして、ただ、一生考えないで済ませればそれに越したことはありませんが、いつか必ず深刻な問題に直面するときが来ます。
病気、老い、死、はもとより、人生には様々な不幸が待ち構えています。

そうしたときのためにもある程度の心構えは必要でしょう。
そしてそれは私自身の問題でもあるのです。

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Author:magokorokara
私は学者でも、宗教家でもなく普通の社会人ですが、人生問題に悩んでいた若い頃読んだ本を長い年月というフィルターを通してみて、あらためて考えたことを整理しながら書いています。

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