人生の根本的な矛盾

人生の根本的な矛盾とは、誰でも一度は考えたことがあるような素朴な疑問から、人間の生死とか、生きがいといったような深刻な問題まで、様々です。

私自身、十代後半にこの問題に突き当たり、以来六十才を過ぎた今日に至るまで、脳裏の片隅から離れることは無く、折あるごとに問い続けて来ました。
けれども、いまだ決定したとは言い難く、なんとか生ある内にこの問題の決着をつけたいと思っているところです。

ただ、全く解決していないという訳ではなく、少なくとも先人が残してくれた書物のおかげで、多くの人たちの考え方を参考にすることが出来ました。
しかし、過去の賢人たちの教えも、皆全て一様ではなく、それぞれ微妙に喰い違っています。
いったいどれが真実の教えなのか、見極めるのは至難の業です。
残念ながら、まだ私自身が完全に納得できるような見解には出会っていません。
自分に起きた疑問は、自分で解決する以外にないのかもしれませんが。

ところで、真実の世界に矛盾は無いとするならば、あるのは我々の心の中ということになるでしょう。
また、矛盾と一口で言っても、論理的な矛盾もあれば、生きがいといったような心情的なものもあります。

もちろん我々にとって重要なのは、いかに生きたら心の平和が得られるかということですが、人間が理性に基づいて行動する以上、論理の矛盾も避けて通る訳にはいきません。

さて、人生の根本的な矛盾を哲学として考察した代表的な人はカントです。
いわゆるカントの二律背反です。
二律背反とはアンチノミーの訳語で、相反する命題の一対を指します。
普通パラドックスと呼ばれています。

以下はカントの二律背反についての私の覚書ですが、簡単に記しておきます。

カントは二律背反を四組あげています。

1.時間と空間は有限か無限か。

2.世界の全ては単純な部分から構成されているか、いないか。

3.普遍的な自由による因果性があるか、ないか。

4.絶対的必然的な存在者がいるか、いないか。

カントはこのパラドックスをどう解決しているかというと、
その解答もパラドキシカルな表現になっています。

まず、二律背反の1番目の「世界が時間・空間的に有限か無限か」という項目が全ての問題の範型であるとしています。

そして、時間・空間は客観的な世界の固有の性質ではなく、我々の認識主観の形式であるとしたのです。
つまり「もともと、世界には時間とか空間などは無く、我々の認識の性質としてのみある」となります。

そしてさらに、認識能力を時間・空間を構成する直観形式とカテゴリーという概念をもつ悟性形式に分けています。

そしてこれらは、現象界のみで成り立つ原則であり、神・自由・魂の不死などの問題は知りえないとしています。

次に、全ての存在を、我々の認識の世界と物自体の世界に分け、それぞれを「感性界」「英知界」としました。
人間はこの両方にまたがって存在していることになります。

感性界において認識不可能とされた神・自由・魂の不死などの問題は英知界で解決されるとしています。
即ち、英知界にある道徳律のみが、唯一到達可能な物自体であるということです。

以上、カントの解説書を参考にしながら要約しました。

結局、カントは理性(知性)では問題は解決されず、実践(道徳律)においてのみ解決可能であるとしています。
しかし、考えてみれば当然のことで、我々が問題にしている「生きがい」とか「心のやすらぎ」あるいは「死の恐怖」といったものは理屈の世界の話ではなく、心の世界であり、生き方を問うものだからです。
いわば実践に関することなのです。

我々の理性(知性)の内で矛盾が生じたのは、認識の世界に心の問題を持ち込んだからだと思います。
さらに言うならば、我々の認識の世界は、あくまで言語や文字による相対的な世界にすぎず、いわば生きるための道具であり、正しい道を指し示すことは出来るが、実際に歩んで体得し実感するのは心の領域ということになるでしょう。

したがって、真理と言われるものも、実は理論ではなく、実践をとおして得られる心の平安を指しているのではないかと思います。

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Author:magokorokara
私は学者でも、宗教家でもなく普通の社会人ですが、人生問題に悩んでいた若い頃読んだ本を長い年月というフィルターを通してみて、あらためて考えたことを整理しながら書いています。

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