仏教の空とは(4)

人生を真剣に生きようとするならば、人間は理性に従って生きなければなりません。
理性によって、正しい方向を選び、その目標に向かって、日々努力していくことこそ、真の幸福に至る道なのです。
ところが、その肝心の理性がぐらついているのです。
理性が生きる意味を見失っているのです。
理性に従って生きていこうとしても、理性は人生の無意味さを暴露するばかりです。
ですから、結局、惰性で生きていくか、刹那的な欲望のために生きるしか無いと言う訳です。
と、これが現代人の大方の偽らざる心境といったところでしょうか。
でも、若い人ならいざ知らず、私のような、いい年をした、そろそろ自分の棺桶が目の前に見え隠れするようになっているのに、刹那的な欲望でもないということで、今回もしょうこりもなく、「空」の話といきます。

さて、龍樹は「空」の一語で全ての概念を否定したわけですが、では一体何を主張しようとしているのでしょうか。
実は何も主張していないのです。
他の論説をことごとく批判しておきながら、自らは何の説も立てていません。
しかも、「誰も私を論駁できない。なぜなら、私は説を立てていない。」という現在の常識では考えられないことを言っています。
しかし、この非常識極まりない、この発言も、こと真実を言い表そうという場合に限って、正当になるのです。
なぜなら、言葉では言い表せないのが真理だからです。

それはさておき、龍樹は「空」とは「縁起」のことであると言いますが、では「縁起」とは何でしょうか。
もともと、「縁起」は、釈迦の教えです。
釈迦は「私の悟った縁起の法は、甚深微妙にして、一般の人々の知り難く、悟り難いものである。」と言い、また、「それは私が作ったものでも、余人が作ったものでもなく、如来が世に出ても出なくても、常に在り、私はただそれを知り、人に教えているのみである。」とも言っています。
しかし、「縁起」については、後世の人たちによって、様々な解釈がなされているところをみると、結局、真意は語らずじまいだったようです。

さて、龍樹は釈迦の究極の教えである「縁起」を「空」によって明らかにしようとしたのですが、ではその「空」即ち「縁起」は何を意味するのでしょうか。
龍樹及び中観派の人たちは、これを相互依存性(相依性)であるとしています。
この世のすべての事象・概念は、相対的に成り立っており、実体的に存在しているわけではなく、全ては「無自性」であり、「仮名(けみょう)」に過ぎない(ウィキペディアの縁起、中観派を参照)、と言う訳です。

言われてみれば確かにその通りで、私は不幸であると言っても、私よりもっと不幸な人がいるでしょうし、金持ちから見れば、私は貧乏でしょうが、もっと貧乏な人から見れば、私は金持ちかもしれません。(卑近な例で申し訳ないですが)
ここで重要なことは、我々の持つ概念が相対的であるならば、考え様によって、見方が変わるということ、つまり、「ものは考え様」と言うことです。

ですから、この「空」は、現象自体を否定している訳ではなく、それを固定的に見る「見方」を否定しているのです。
説一切有部の「法有」やプラトンの「イデア」のようなものはもちろん、一般的な人でも、ごく普通に持っている、現象を実在視する固定観念などです。

ではなぜそれがいけないかというと、物事を固定的、実在的に見ることによって、有りもしない幻影に苦しめられるからです。
龍樹の著作とされる、「大乗についての二十詩句篇」には、絵師が自分で描いた夜叉の絵を見て、恐れおののくようなものだと書かれています。

ここまでくればお分かりのとおり、龍樹は概念による虚構を取り去った真実の世界を「縁起」、「空」、あるいは「諸法実相」とし、また「如来の本性」であるとしているのです。
考えてみれば、確かにその通りで、我々は現実以外に何も知らないわけで、死後のことも分からなければ、生前のことも分かりません。
世界の初めも終りも分からないし、宇宙の果ても分かりません。
ただ、現実のこの世界が全てであり、絶対であるとしか言い様はないわけです。
もし矛盾があるとすれば、我々の考えの方が間違っているのであり、現実世界が間違っているとは考えられないからです。

さて、空の意味はほぼ理解し、縁起のことわりも分かった、けれども、それで悟りの境地に至ったわけではないし、こころの平安を得られたわけでもありません。
我々は学者ではないのです。
意味が分かればそれでよいということではありません。
実際に人生の苦悩から脱却し、幸福が得られなければ何の価値もないのです。
釈迦の教えは極めて現実に即した教えです。
その意味では、宗教というよりも、最も優れた人生論と言えるかも知れません。

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Author:magokorokara
私は学者でも、宗教家でもなく普通の社会人ですが、人生問題に悩んでいた若い頃読んだ本を長い年月というフィルターを通してみて、あらためて考えたことを整理しながら書いています。

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