愛についての補遺

前回では、キリスト教で言う愛(アガペー)と、一般的な意味での愛は違うということを書きました。
我々が日常会話で用いる愛は、ほとんどが性愛を意味すると思います。
中には崇高な愛を説く人もいるでしょうが、大体は宗教家か、慈善団体が寄付を求めに来た時ぐらいでしょう。

ところで、宗教家と言えば、今の日本では、あまり良いイメージがありません。
もちろん、真摯な宗教家がほとんどでしょうが、一部の不心得者による暗い話が多いからでしょう。
人間の不安心理につけこんだ悪質な詐欺まがいの事件もあるようです。
天使の仮面を付けた悪魔というわけで、冷静な時ならともかく、気が落ち込んでいる時や、気が動転している時などには、ついやさしい言葉、親切な言葉に惹かれてしまうものです。
そして、気が付いた時には、かなり深みにはまっていて、抜き差しならない状態になっているという場合が多いようです。

この種の問題で厄介なのは、犯罪かどうかの区別がつきにくいということで、本人が信じてしまえば、誰も文句は言えないわけです。
しかも教義が難解である場合が多く(わざと難解にしてあるのかも)、その真偽を見極めるのが容易ではありません。
さらに、心の問題には、数学の模範解答のようなものはありませんので、どう考えようと、その人の自由ということもあります。

結局、どう生きたら幸福になるかは、自分で見出す以外にはないのですが、それにしても、人の善意や弱みにつけ込んだ詐欺者は、この世ではいざ知らず、最も重い罪人として、間違いなく地獄へ行くことでしょう。

さて、先ほど数学の解答という言葉が出てきましたが、ではなぜ数学では明快な解答が出てくるのでしょう。
答えは簡単で、答えが出るように初めから設定されているからです。
初めにルールが決められていて、その条件の中での解答ということですから、答えが出るのは当然です。
1+1=2になるというのは、別に深い意味があるわけではなく、単に約束事にすぎません。
幾何学で言えば、まず最初に任意の二つの基点が設けられますが、もしこの不動点が無ければ、幾何学は成り立ちません。
いわば人間が作り上げた仮構の世界と言えるでしょう。
ですから、人生問題については、数学のような論理はまったく通用しないのです。
人生問題にはルールも、不動の基点もありませんので。

では、現実の世界には不動の基点となるものは、本当に何も無いのでしょうか。
実は無いのです。
昔から、この世界が夢や幻に例えられるのももっともです。
とは言うものの、我々が生きているこの世界に、確固たる実体が何も無いということは、非常に不安なことです。
パスカル、カント、トルストイらがその事実に気付き、それまでの人生観を百八十度変えてしまったことはよく知られています。

しかし、実体が無いと言っても、それはあくまで理屈上の話であって、心の世界ではまた別の話になります。
我々の人生に決定的なことは、心情の世界の出来事であって、理屈上の問題ではありません。
愛し合う男女に向かって、「なぜ愛するのか」という質問ほど馬鹿げたことはないでしょう。
また、登山家に「なぜ山に登るのか」と質問したところ「そこに山があるからだ」と答えたという話は有名です。
同じように、人生の意義とか生きがいとか言ったことも、理屈ではなく心情の世界での話ということになります。
(ここで、心情の世界とか心の世界という言葉を使っていますが、他に適当な言葉が想いつかないだけであって、理屈の世界と別に心の世界があるわけではなく、広い意味での自分の意識そのものという意味です。)

さて、本題の愛についてですが、愛が人生において重要であることは間違いないでしょう。
人は愛によって、安らぎと幸福を得るのは事実です。
ただし、キリスト教で説く真の愛(アガペー)によってであって、それ以外の愛ではありません。
なぜなら、個別的なものに対する愛は執着であり、苦しみの原因となり得るからです。
では、キリスト教の愛(アガペー)とはいかなるものでしょうか。
端的に言えば、それは神の愛、即ち、生きとし生ける者、全てに対する、無差別の愛ということになるでしょう。

この愛は、普通用いられる愛の概念とはちょっと違うようです。
愛するということは、その対象がなくてはなりません。
性愛であれば、当然相手がいるわけですし、家族愛であれば、両親や我が子、あるいは兄弟姉妹がその対象となります。
しかし、キリスト教の愛(アガペー)では、個別的な愛の対象はありません。
では、このアガペーは一体何を愛せと言うのでしょうか。
そこで出てくる言葉はなんと「汝の敵を愛せ」です。
汝の敵、それは人が最も憎むべき相手です。
普通の人間であれば、敵を愛するなどということは、到底出来ない相談です。
これには何か深い意味があるに違いないのです。

というわけで、話が長くなりそうなので、また次回に。

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Author:magokorokara
私は学者でも、宗教家でもなく普通の社会人ですが、人生問題に悩んでいた若い頃読んだ本を長い年月というフィルターを通してみて、あらためて考えたことを整理しながら書いています。

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