ショウペンハウエル「自殺について」(2)

さて、前回でも話したとおり、ショウペンハウエルは世界の本質を「生きんとする意志」としています。
そしてこの意志には何ら目標も目的もなく、ただひたすら生きようとする盲目の意志であるということでした。
確かに、我々自身を考えてみれば、生きようとする意志の固まりであることが分かります。
ほとんどの人は、人生の意味や目的など考えることもなく、ただ死にたくないの一心で生きています。
病気にかかり、助かる見込みがないと分かっても、なお延命を求めようとします。
あとわずか生きたところで、苦痛しかないのは分かり切っているのに、なお最後の最後まで生きようとします。
一方において、我々はいったいどこから来たのか、何のために生きているのか、なぜ死にたくないのかはまったく分かりません。
これは、明らかに我々は理性によって生きているのではなく、本能によって生きているのであり、その背後に「生きんとする意志」があることを物語っています。

本来、我々の知性はこの「生きんとする意志」に奉仕するためにあるのであり、その意味においては「生きんとする意志」を肯定するのは当然であるべきはずのものです。
世の大部分の人は、正に、かくのごとく生きているのであり、その点では他の動物と大差はないように思われます。
むろん人間には知性があるわけですが、「生きんとする意志」に奉仕している限り、他の動物よりもより巧妙に、悪賢く生きているにすぎません。
しかし、このような生き方は、当然理性の批判をまねくことになります。(ここで理性と知性を区別していますが、理性とはより高度の意識という程の意味です)
ショウペンハウエルが熱弁をふるって論じているのも「この世界の虚無性」についてであり、「生きんとする意志」に操られている人間存在の虚しさであります。
であるならば、当然「生きんとする意志」は否定しなければなりません。
「生きんとする意志」によって、この苦悩の世界が現出しているのあれば、それを否定することこそ、理性が執るべき最良の道であると思われるからです。

しかし、ここで問題が生じます。
「生きんとする意志」を否定した後にいったい何が残るのかということです。
この世界が「生きんとする意志」の顕現であるならば、当然我々の肉体や知性も体現化した意志ということになります。
我々の認識し得る全ての存在が、悉く「生きんとする意志」の表れであるとするならば、それを否定した後に何が残るのかという疑問が生じます。
ショウペンハウエルはこれを無であるといいます。
ただし、この無は積極的な意味のある無ではなく、単にこの世界が有であるならば、それに対して無であると言ったにすぎません。
早い話が、分からないということです。
我々が認識し得るのはこの世界のみであり、そしてこの世界が「生きんとする意志」を本質としているならば、それを否定してなお残るものは認識を超えたものといわざるを得ないでしょう。

第五編の「生きんとする意志の肯定と否定に関する教説によせる補遺」には以上のような問題点が語られています。
といっても、これらの問題に直接言及しているのは最初の部分だけで、後はそれを間接的に述べているにすぎません。
いったい、ショウペンハウエルはこの世界を「生きんとする意志」として把握しているわけですが、ショウペンハウエル自身はこれを肯定しているわけではなく、むしろ否定的に見ていることは確かです。
もし肯定的であるならば、それは楽観主義になるでしょうが、彼の哲学からは、どこを探しても楽観主義など出てきません。
それどころか、この世界を悪とし、この世界を創ったのは悪魔であるとすら見ている節があります。
「生きんとする意志」の核心であり、始原的なものとして生殖行為がありますが、実はこれは悪魔の手附金であり、これによって世界は彼の国になるといいます。
「一体ひとびとは、交合の直後に悪魔の高笑いが聞こえてくるということに気付かなかったであろうか」ということだそうです。
それにしても、この極端とも思える厭世観も、事態を冷徹に見極めれば、至極当然な結論と言わざるを得ないでしょう。
安易な楽観論や希望的観測に妥協することなく、事実を事実として世界を見、そして、そこに置かれた人間存在に考えを及ぼすならば、この世界に対して否と言っても何ら不思議なことではありません。

しかし、ここで腑に落ちないのは、世界が正しくそのような「生きんとする意志」のみで完結しているのならば、何ら矛盾も疑問も起こりようがないはずです。
当然「生きんとする意志」の肯定以外にはあり得ません。
動物の生存では確かにその通りであるし、人間に於いても、人間が動物としての生存である限りではそのようにいえるでしょう。
事実、世の大部分の人たちは人生にそれほど矛盾を感じているようには見えませんし、それほど深刻でもないようです。
むろん、これは事態をそれほど突き詰めて考えていないということであって、悩みや苦しみが無いということではないでしょうが。
それに、知性や理性といえども、肉体に依存しているのであり、その肉体の親ともいうべき「生きんとする意志」を否定するというのは、考えてみればおかしな話です。

ではなぜこの世界に対して矛盾が生じるのでしょうか。
もし矛盾を感じるとするならば、「生きんとする意志」以外の何ものかが在るということになります。
この何ものかが「生きんとする意志」を批判し否定しているのです。
この点についてショウペンハウエルの説は、必ずしも明快ではありません。
「我々は意欲を通してのみ、世界を積極的に認識しているのだから、それを否定した後でいったい何があるのかは、何も語ることは出来ない」といいます。
確かに、世界を現象としてみる限りにおいてはそうでしょう。
しかし、人間の行動には「生きんとする意志」だけでは説明出来ないものがあります。
それは、「善なる意志」です。
我々のこころの中にはまぎれもなく「善なる意志」が存在します。
もっとも、無いという人もいるでしょうが、よくさがせば少しはあるでしょう。
この「善なる意志」は「生きんとする意志」とはほとんど無関係です。
むしろ逆行していると言えるかも知れません。

私はこの「善なる意志」こそ正しく「生きんとする意志」を否定した後に在るものであると思います。
ただし、この「善なる意志」は現象界から導かれるものではなく、直接こころの本源より来るものです。
ですから、それは認識の対象に成りえず、従って、論理的ではあり得ず、ショウペンハウエルが「何も語ることは出来ない」と言ったのももっとな話です。
この「善なる意志」は積極的な欲望として表れるのではなく、、むしろ諸々の欲望を抑制した後に見えて来るものです。
それは我々の本来の姿、謂わば何も描かれていないキャンバスのようなものかも知れません。
また、光を常に放ってはいるが、雲によって見え隠れする太陽にたとえられるでしょう。
ですから、この「善なる意志」は「生きんとする意志」と同じ地平にあるのではなく、次元の違うはるか上方に在って、想像を絶したものより来たる意志ということになるでしょう。

「善なる意志」あるいは「善意志」とは、もともとカントが言っていることであり、我々の唯一到達可能な物自体ということですが、ここでは広い意味での善なるこころとして、キリスト教のアガペーや仏教の慈悲などを指しています。

さて、ショウペンハウエルにおいても、この世の苦悩から脱却する道として、禁欲や清貧をすすめています。
ただ、あくまで「生きんとする意志」とその否定であって、それを突き抜けた「善なる意志」という見方が欠けているように思えます。
また、仏教を推奨していますが、それは仏教がこの世からの解脱を強く説いているからということです。
しかし仏教は、ただ単にこの世を否定している訳ではなく、この世に執着する見方を否定しているのであって、根本的には生を肯定しているのではないでしょうか。
いづれにしても、ショウペンハウエルが目指しているのは禁欲と受苦によって心の平安を得ることであり、この世界から離れ人生を達観することです。
それは孤高の聖者への道と言えるかもしれません。

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悪魔の創ったこの世に何故、間逆の理性が現れたのか?
苦痛を覚悟で動物的個我を理性に従わせる事の出来る、人間になりたいと決意したものの。ふと気づけば悪魔の声に無意識に従っている自分に気づき、自分は極悪人で、悪魔の子供の中の一人だと思い知る毎日…。なにもわからない事だけはわかっているですね。理性はこの先も永遠に考えていくんでしょうね。

Re: タイトルなし

> 悪魔の創ったこの世に何故、間逆の理性が現れたのか?
> 苦痛を覚悟で動物的個我を理性に従わせる事の出来る、人間になりたいと決意したものの。ふと気づけば悪魔の声に無意識に従っている自分に気づき、自分は極悪人で、悪魔の子供の中の一人だと思い知る毎日…。なにもわからない事だけはわかっているですね。理性はこの先も永遠に考えていくんでしょうね。

私も同感ですが、ちょっと補足させていただくと、悪魔がこの世を創ったという話は、人を真実の道に導くための方便として意味があるということ。
また、人が肉体を有している限り、欲望から離れることは出来ません。
重要なのは、良心を優先することだと思います。
欲望自体は善でも悪でもなく、欲望の強い人は苦しみも大きいというだけのことでしょう。
また、なにもわからないという意味は、人生は理屈ではないということであり、自分が納得できる道を見出すことが真理であるということです。
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Author:magokorokara
私は学者でも、宗教家でもなく普通の社会人ですが、人生問題に悩んでいた若い頃読んだ本を長い年月というフィルターを通してみて、あらためて考えたことを整理しながら書いています。

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