パルメニデス

今回は荘子について書こうと思ったのですが、予定を変更してパルメニデスを採り上げます。
パルメニデスは古代ギリシャの哲学者です。
ギリシャ哲学といえば、ソクラテス、プラトン、アリストテレスを思い浮かべますが、パルメニデスはあまり聞いたことがありません。
もちろん、その方面に詳しい人は御存知でしょうが。
パルメニデスに関する解説書も少ないようです。
私がパルメニデスを知ったのは、岩田靖夫さんのギリシャ哲学の講義をテレビで視聴してからです。
放送大学でしたが、たまたまテレビ番組表に出ていたのでビデオにとっておきました。
二十年近く前に録画したビデオテープですので、映るかどうか心配でしたが、どうにか映るようです。
この講義は古代ギリシャ哲学史のような内容ですので、パルメニデスもその中の一人として出ています。
むろんソクラテス、プラトン、アリストテレスも解説しているのですが、私はなぜかパルメニデスに惹かれました。
岩田靖夫さんの解説が妙を得ているというか、分かりやすいのです。
ウィキペディアの「存在」という表題でパルメニデスについて書かれた部分がありますが、これは岩田靖夫さんの執筆したものからの引用ということです。
講義の内容もほぼこれと同じです。
ただ、ここで書かれている引用文だけでは意味が分かりづらいと思いますので、講義と照らし合わせて、私なりに意味を解説してみることにします。

まずパルメニデスは「存在とは思惟することである」といいます。
この言葉は唯心論、あるいは仏教の唯識に通ずるところがあります。
確かに、有と無、生と死、絶対と相対といった概念は我々の思惟の中にあります。
この全世界、全宇宙といっても、それは我々の認識し得る世界であり、思惟できる限りの宇宙でしかありません。
存在、非存在という概念も、思惟の対象としてのみあるのであって、意識あるいは思惟をはなれて存在はあり得ないのであり、従って意識の消滅と共に存在も消滅します。

次にパルメニデスは驚くべきことをいいます。
しかもこれはパルメニデス自身が語ったのではなく、女神の言葉を伝えたにすぎないとしています。
まず存在とは「絶対の所与」であり、その意味、誕生を求めてはならぬといいます。
なぜなら、存在には誕生も滅亡もないからです。
もし誕生があるとすれば、その前に誕生していない状態として「あらぬ」(無)がなければならない。
しかし「あらぬ」とは、語ることも考えることもできぬ非存在、無意味、虚妄である。
「あらぬ」ということは、まさしく「あらない」ということであって、無視すべきことであり、思惟から除外すべきことです。
また、滅亡もありえない。
もし「ある」(有)が滅亡するとすれば、「ある」が「あらない」ことになる。
したがって、存在にとっては、過去も未来も意味をなさないのであり、生成消滅する時間的世界は非存在ということになります。
なぜなら、過去に「あった」ということは、今は「あらない」ということを含意しているからです。
同様に未来に「ある」であろうということは、今は「あらない」ということを含意しています。
また、「ある」には程度の差がない。
或るものが、或るものより少ないということは、或るものが、或るものより「あらない」ということを含意しています。
同様に「あるもの」から「あるもの」も生じない。
「あるもの」から「あるもの」が生じるとは「あるもの」が「あるもの」でなかったということであり、「あり」かつ「あらない」という自己矛盾が生じるからです。
したがって、存在はいたるところで等質であり、分割できず、連続している。
「ある」は不可分の連続体として、単一であり、すべてであり、充ち充ちている。(空虚なものは存在しない)

以上がパルメニデスについての講義の内容です。

つづきはまた次回に。

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パルメニデス、、、初めて知りました

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magokorokara

Author:magokorokara
私は学者でも、宗教家でもなく普通の社会人ですが、人生問題に悩んでいた若い頃読んだ本を長い年月というフィルターを通してみて、あらためて考えたことを整理しながら書いています。

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