アリストテレスによるプラトンのイデア論批判

前回ではシュヴェーグラー西洋哲学史プラトンの弁証法を参考にしながらイデア論について書いてみましたが、私自身まだ全て納得したというわけではなく、判然としない部分を残しています。
個別の論理は理解できるものの、全体を通してとなると途端に矛盾が出てきます。
主張するところは分かるのですが、なぜそうなるのかが分かりません。
というわけで、ここでアリストテレスによるプラトンのイデア論批判を簡単にみてみます。
同じく哲学史のアリストテレス形而上学の項に次のような記述があります。
「プラトンのイデアは、永遠化された感覚物にすぎず、感覚的なものの存在および生成はイデアからは説明できない」ということですが、これはどういうことかというと、現象界の出来事は絶えず生成変化しているので、絶対的な実体とはいえません。
そこで、学の可能性を救うために不滅の実体であるイデアを考えつき、感覚的個物の本質としての普遍を見出して、これをイデアとしたのです。
と、そこまではきわめて正しかったのですが、しかし、かれがそのために見出したものは感覚的個物とあまり違いのないものでした。
違うのは個物に付加された「自体」という言葉だけです。
すなわち、人間とか馬というかわりに、人間自体とか馬自体と言われるだけの話です。
しかも、このイデアという普遍的概念を独立させて、個別的実体にまでしてしまったので、個物とイデアがお互いに分離して存在することとなったのです。
ですから、イデアは個物のうちになく、個物からはなれているのですから、イデアはそれを分有する個物の認識に少しも役に立たないのであり、個物の生成や運動に関係がないということになります。
要するにアリストテレスはイデアと個物との関係が曖昧であり、論理的に不整合であると指摘しているのです。
あくまで論理にこだわるアリストテレスにとっては不満であったのでしょう。
そこでアリストテレスは独自に新たな概念を持ち込むことになります。
質料と形相がそれです。
質料とは材料のことであり、形相とは本質ということですが、しかしその意味するところはそう簡単ではありません。
アリストテレスはまず原因ということに着目します。
一切の事物の根本的根拠としてのイデアという観点から、プラトンのイデアを問い直そうとしたのです。
もともとプラトンのイデアとはどういうものかというと、それは存在の本質であり、不滅なものであり、そして生成と運動の原因であったわけです。
アリストテレスはこの生成と運動の原因をさかのぼることによって、根本原因である不滅の本質にたどりつけると考えたのです。
近代科学でいえば存在の因果関係を調べるといったところです。
アリストテレスは存在の原因という概念を分類して以下の四つとしています。
・質料因 → 事物が何でできているか(材料)
・形相因 → そのものの実体(本質)
・運動因 → 運動や変化を引き起こす原因
・目的因 → それが目指しているもの
この内の運動因と目的因は形相因の中に含まれるとして、結局、存在の原因を質料因と形相因の二つとしています。
そしてさらに、質料因と形相因を論理的に説明して、デュナミスとエネルゲイアの関係を導き出します
それは以下のような関係になります。
・質料因 → デュナミス(可能態) → 潜在的には可能であるもの
・形相因 → エネルゲイア(現実態) → すでに生成したもの
ですから、世界の現象を可能態から現実態への生成のうちにみたわけです。
したがって、アリストテレスのイデアとは生成によって永遠に作り出されるものであり、できあがった存在ではなく、不断に産出される存在であったのです。
これに対してプラトンのイデアは、静止したものであり、生成と運動とに対立したものであり、そして自立的存在であったわけです。
しかし、これをみても分かるように、アリストテレスのイデアは最終的な絶対存在ではあり得ません。
不断に生成されるものが、究極の存在であるはずがないからです。
結局、アリストテレスは最終的な絶対存在を神としているのですが、これをデュナミスとエネルゲイアの関係から基礎づけようとします。
その要点は以下のようになります。
・運動の始原はエネルゲイア(形相)を本質とするものでなければならない。
・絶対に不滅なものは可能的ではなく、あくまで現実的である。
・エネルゲイア(形相)のみが永遠なものにふさわしい。
・永遠の存在は運動の絶対的始原であり、絶対的概念(純粋な本質)であり、絶対的目的(本源的な善)である。
・以上のような諸前提から次のような結論が導き出される。
それは一であり、不変不動であり、生命であり、叡智であり、その本質はエネルゲイアであり、思考の思考、すなわち絶対的な主観即客観である。
ということで、それがすなわち神ということですが、シュヴェーグラーによれば「アリストテレスは神と世界との関係を完全にそして整合的には規定していないのである」ということです。

以上ざっとアリストテレスの形相と質料の関係を見てきたわけですが、もちろんこれだけでははっきりしません。
もっと詳細に見ていかなければ真意は分かりませんが、今回はそれが本題ではないのでまた次の機会とします。
ただ、アリストテレスの形相と質料という考え方は現代人にとっては、それほど説得力のある考えとは言えないでしょう。
彼の宇宙論と同様に、これは一つの仮説であり、世界をどう見るかという一つの見方にすぎないのです。
プラトンのイデア論との関係でいえば、プラトンのイデアが形相に、善のイデアが神に置き換えられただけのように見えます。
違いといえば、質料という概念によって、世界の多様さと生成の根拠にしたこと、あるいは、デュナミスとエネルゲイアという概念によって、イデアと現象の世界との対立を克服したことといえるでしょう。

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Author:magokorokara
私は学者でも、宗教家でもなく普通の社会人ですが、人生問題に悩んでいた若い頃読んだ本を長い年月というフィルターを通してみて、あらためて考えたことを整理しながら書いています。

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