久々の更新

久々の更新となります。
前回までシュヴェーグラーの「西洋哲学史」からギリシャ哲学を中心に見てきたのですが、といっても前回よりだいぶ間がありましたのでどこまで書いたのかすぐには思い出せませんが、確かストア学派あたりまでいったと思います。
その後続きを書くつもりでいたのですが、あれやこれやと用事をたしているうちについつい遠ざかってしまいました。
というわけで、しばらく更新をしていなかったので、訪問者もいないであろうと思っていたところ、意外にも検索して下さる方が以前と変わらずいらっしゃるようです。
そろそろ削除しようと思っていたのですが、このまま削除してしまうのも気残りです。
それにいかにも中途半端な終わり方ですので、もう少し結論みたいなものを出してからとも思います。

さて、私にとって人生論とは「生死の超克」以外の何ものでもありません。
死は現実に確実にやって来る問題ですので、これを避けて通る訳にはいきません。
これをいかに受け入れるかが、さしせまった重要な問題であるわけです。
これをどのように考えたら理性が納得できるかということですが、今の常識的な考え方では、この問題を乗り越えることは出来そうにもありません。
今は科学的な見方が常識になっていますが、こと死の問題に関しては科学はあまり役に立たないようです。
科学は現象の研究に限られているので、人間の心の問題に対しては無力です。
また、哲学といわれるものも、確かにこの問題を研究の対象にしてはいるのでしょうが、未だに納得できる結論を出しているとは思えません。
現代は情報化社会などといわれ、日々多くの情報が飛び交っていますが、なぜかこの問題を避けて通るようです。
関心がないわけではないでしょうが、あまりにも問題が大きすぎて容易に語ることなど出来ないのかも知れません。
それに怖いということもあるでしょう。
この問題は非常に神経の緊張を強いるので、出来れば眼を塞いで避けて通りたいところです。
しかし非情にもこの問題は厳として立ち塞がっているのです。
ソクラテスも言っているとおり「死を恐れることは恥ずべきことである」ということですので、ここは逃げずに敢然として立ち向かうべきではあるのですが、いかにせんむずかしい。
私が五十年近く考えてこの程度ですから。

というわけで、この問題を現代の知識に求めても無理ですので、やはりここは過去の偉大な賢人にすがる以外にはないでしょう。
よけいな知識に覆われている現代人は、自分の心を純粋に見通す能力を失ってしまったかのようです。
過去の偉大な先人たちの言葉が新鮮な響きとして聞こえてくるのは私だけでしょうか。


スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

magokorokara

Author:magokorokara
私は学者でも、宗教家でもなく普通の社会人ですが、人生問題に悩んでいた若い頃読んだ本を長い年月というフィルターを通してみて、あらためて考えたことを整理しながら書いています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR