密教 空海

今回は前回に引き続いて密教を見ていきます。
日本で密教といえば、空海ですが、今手元に「空海の思想について」(梅原猛著)という書がありますので、これを参考にしたいと思います。
梅原猛さんは、若い頃読んだ「仏教の思想」などでなじみがありますが、もともとは西洋哲学が専門の方で、日本の古典や仏教にもくわしいそうです。
なかなか大胆な鋭い批評をする人だと感じていました。
この書の題名は「空海の思想について」で、主に空海の思想を採り上げています。
空海は万能の天才ということで、書、語学、詩などでも才能を発揮していて、それぞれ高い評価を得ていますが、やはり中心は密教であろうと思います。


さて、空海は若い頃、世の無常を感じて、仏教にその答えを求めるべく、自ら山野に修行に明け暮れるわけですが、やがて当時最先端の教えである密教に関心を寄せるようになります。
おりしも遣唐使派遣が決まり、運よくその一員に選ばれ中国への渡航を果たします。
そこで当時密教の第一人者である恵果に出会い、密教の奥義を伝授され、その教えを携えて帰国します。
帰国した後、新に即位した嵯峨天皇に認められて、日本に密教を弘めることになります。
と、以上がだいたいの経歴ですが、こうしてみると当時の留学僧がたどった経路をほぼ踏襲したという感じです。
空海が、特に際立った点は、当時最新であった密教を伝授されたことでしょう。
空海は通訳なしに中国語を話し、梵語すら解読出来たといわれていますので、かなり下準備が整っていたと思われます。
留学期間が二十年のところをほぼ二年で帰国してしまいますが、すでに初期の目的を果たしたとみてよいでしょう。
だとすれば、空海は留学する以前に、すでに仏教のほぼ全てを掌握していて、あと一歩を残すのみだったと考えられます。
なぜならば、恵果から非常に短期間で密教の正統な後継者として認知されているからです。
空海が後に書くことになる「十住心論」の素地はすでにこの頃から出来ていたのではないでしょうか。
「十住心論」とは人間の心を低次から高次まで十段階に分け、当時の宗派や思想をそれぞれに配置した、一種の教相判釈(きょうそう はんじゃく)のようなものです。
もちろん、密教を最高段階に位置づけています。
空海は入唐早々、他の宗派には目もくれず、密教のみに狙いを定め、その志を達するや否やさっさと引き揚げています。
ということは、他の宗派の教えはこの時すでに熟知していて、それを超える教えを求めていたとしか考えられません。
それに他の教えを充分把握していなければ、十住心論は書けないのです。


今ここに「般若心経の謎」(百瀬明治著)という文庫本があるのですが、たまたまその中に興味のある記事を見つけました。
この書は般若心経を歴史的な観点から捉えようとした著作ですが、日本に般若心経が伝えられたいきさつが書かれている章に、玄昉という僧が出てきます。
この玄昉は空海が生まれる三十年程前に没していますが、空海と同様に学問僧として唐に派遣されています。
空海と違って在唐は十八年に及び、法相宗の智周に学び、その正統を受け継ぎ、しかも時の皇帝玄宗に認められ、紫の袈裟を賜ったということです。
その玄昉が帰国の際、持ち帰った経典は五千余巻にも上るといわれています。
帰国後は聖武天皇の信任を受け、僧正に任じられ、政治にも関与するようになりますが、その後失脚し、失意の内に亡くなります。
ところで、玄昉に尊信を寄せたのは、聖武天皇とその妻である光明皇后でしたが、特に光明皇后からは海竜王寺を寄進され、玄昉がこの寺の初代住持となったといいます。
後年、この海竜王寺に空海が若い頃、毎日のように通って写経に励んだという所伝があるそうです。
実はこの玄昉と空海は母方でつながっており、空海は玄昉とおなじ阿刀氏の出である叔父の阿刀大足に基礎教育を受けています。
ということは、空海は玄昉の影響をかなり受けており、縁故関係も多かったと思われます。
空海がそういった土壌の中で育ったのであれば、中国語に堪能であり、仏教に精通していたとしても何の不思議はありません。


さて、ではなぜ密教だったのでしょうか。
密教のどこに惹かれたのでしょうか。
密教が当時最先端の仏教であり、いわばトレンディーな教えであったというのが理由の一つと考えられます。
当時日本が求めていたのは、必ずしも哲学、思想ではなく、仏教を通して得られる文化でした。
それは流麗に書かれた経典であり、仏像、絵画であり、壮麗な仏教建築であったのです。
ちょうど明治の時期に日本が西洋に憧れたのと同様です。
当時、唐は世界最大の国でしたし、仏教は最も高度な教えの一つでした。
それは権力者にとって、権威の象徴でもあったのです。


そして次に考えられる理由は、それまでの仏教に欠けていたものを見出したということです。
確かに、それまで日本に請来されていない密教を導入するのが、空海の主な目的だったのですが、それは単に新しいというだけではなく、今までの仏教に何かが欠けていたからではないでしょうか。
それまでの仏教は、いわば画竜点睛を欠いていたわけです。


つづく


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有るのでもなく無いのでもなく空だというとき、それは有ることも可能で無いことも可能ということ、なんじゃないかなあと思います…
例えば、この宇宙があるのも、あるいは、無くてもよかったのも、すべてはまず空だったから、なんじゃないかなあ〜と…
独り言でした。
これからもブログ更新楽しみにしてます。
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Author:magokorokara
私は学者でも、宗教家でもなく普通の社会人ですが、人生問題に悩んでいた若い頃読んだ本を長い年月というフィルターを通してみて、あらためて考えたことを整理しながら書いています。

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