ヤコービ

カント哲学は基本的には正しいと私は思っています。
ただ人生問題に対するアプローチの仕方が私とは少々異なるようです。。
私はむしろ、哲学史(シュヴェーグラー)でカントの次に出てくるヤコービに共感を覚えます。
ヤコービという人については、私はよく知りませんが、カントとほぼ同時代のドイツの思想家ということです。
日本でもその著作についてはほとんど知られていないので、私もこの哲学史の簡単な解説とウィキペディアの記事で知るのみです。
にもかかわらず、私はこの人の考え方をほぼ推察することができます。
なぜなら私の思っていることと同じだからです。

ヤコービは神を論理的に導き出すことは出来ないと言って、スピノザ主義を批判しています。
スピノザはご存知のように幾何学的手法で神を論証しようとした人です。
「ヤコービはスピノザ主義は宿命論であり無神論であると言い、哲学的論証の道はすべて宿命論および無神論へ導くとし、もしこれにおちいるまいと思えば、われわれは論証の限界を認め、人間のあらゆる認識のエレメントが信仰であることを承認しなければならない。」(哲学史)
もちろん、スピノザ自身は清廉潔白な人であり、真剣に神を求めていたのは言うまでもないのですが、神を論理的に導き出そうとしたのは誤りであると言わざるを得ないでしょう。
「もし哲学が有限な悟性をもって無限ををとらえようと思えば、それは神的なものを有限なものにまで引下げなければならない。」
「論証できるような神は神ではない。なぜなら論証の根拠は常に論証されるべきものの上にあり、後者は前者からその実在性を与えられるからである。もし神の存在が証明されなければならないとしたら、神は神よりも前かつ上にある根拠から導き出さなければならないであろう。」(哲学史)
世界の究極根拠を求めても、それを実証するにはさらに上の根拠を必要とするということでしょう。

というわけで、哲学が哲学である限り、スピノザ主義にならざるを得ないのであり、制約しながらしかも制約されたものの鎖のうちを回っているだけということになります。
そういう意味ではカントが「人間が認識できるのは現象のみであり、物自体には及ばない」としていることと相通ずるかもしれません。
カントは物自体を神とは言っていませんが、それに近い意味合いを持たせているのは事実です。
カントは「人間は英知界(物自体界)と感性界(現象界)の両方にまたがって存在している」と言っていますが、この英知界、すなわち物自体の世界では時間・空間の支配を免れた自由があると言っています。
(先なる出来事のない、第一の始めをカントは自由と呼んでいる)

哲学史ではヤコービはカント哲学の反対者という位置づけですが、必ずしも全て反対しているわけではなく、部分的な反対というのが正しいでしょう。
ヤコービはカント哲学というよりも、哲学自体を批判しているのであって、「反省を事とする悟性しか認めない哲学はすべて、結局なにごとも認識できないことを認めざるをえない。その終局はニヒリズムである。」(哲学史)ということです。

そこで選び取られる道が「非哲学」ということですが、以下は次回に。

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Author:magokorokara
私は学者でも、宗教家でもなく普通の社会人ですが、人生問題に悩んでいた若い頃読んだ本を長い年月というフィルターを通してみて、あらためて考えたことを整理しながら書いています。

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